武術同好会in千葉同好会のブログ

中国武術である戴氏心意拳を練習してます。同好会と冠するに、目的は今は人集めです。師は愛媛にいます。連絡先はxinyi.kokoro.omoi@gmail.comです。

武術と戦争

仕掛ける、という招法がなぜ必要か?

ただの受け身な用法には、戦術的要素がないのか。


戦争を考えてみましょう。

戦争をするには、まず武器を持って、歩兵がどーん!とぶつかって終わり、ではありません。


戦略的に大きく地域や、国の情勢などの情報を取り、大きくものをみます。そこからどこに、どれだけの部隊を投入して、どんな部隊を運用するか、武器や弾や、メシや、装備、バックアップの部隊はどこか、通信は、どうやって進軍させるか?

戦略です。

大きな部隊や小部隊が、敵の敷地内に侵入し、接敵して、占領する。

それには、どうやって部隊を動かして敵を叩くか?

隠れていきなり奇襲するのか?迂回するのか?陽動するのか?罠にかけるのか?

など、これらは戦術的行動です。


個人らの、戦闘戦技、銃を狙って撃つとか、ナイフで刺すには、精度や、身体の使い方で相手を殺すとか、心理的効果を狙う。


これは戦法の段階です。


ざっくりですが、要するに大きく見て、小さくなっていくが、小さい事は大きなことにつながるわけです。


これらは、武術となんら関係ない、という方もたくさんいらっしゃると思います。

が、一緒です。部隊で動いてないだけで、個人での段階の話です。なんら変わりません。


敵と判断した相手に対して、考えなしに殴り蹴る、そんな事がまかり通るでしょうか?

戦場ですら、法を遵守するのです。知らない方は調べてください。


ムカつくから殴った、相手は死んだ、おわった。

口は悪いですが、アホとしかいいようがありません。

何も考えなしに殴って、当たりどころが悪くて死んでしまい、法を破るわけです。

自業自得だし、思考が単純かつ短絡過ぎて全く笑えません。お花畑よりキツイ状態にあるといえます。


また、人を殺す戦は、必ず遠くからの間合いを様々な遠距離武器から詰めて、斬り殺す、もしくは、刺し殺しにいくわけです。


つまり、いきなり

はい、じゃあこう来て下さい、こうしてきてら、こうします。たら、れば…

なんて事は、起きにくいというか、難しい状況であるといえるのです。


日常は戦争じゃない!

なんて方いると思いますが、日常にボクシングなんてあり得ませんし、空手も柔道もありません。畳がそこにあるでしょうか?審判は?裸足になって、マウスピースを口にはめるのでしょうか?

だからこそ、日常に根差すのです。


接近するための方法は、当然どの武術も武道もお持ちのはずです。

知ってるか、知ってないか、教えないのか、なんなのかわかりませんが、ないというならそれは知らないと言うことです。


ちなみに、武術は武器の延長で素手でやっておりますゆえに、素手から出発する事はいささか難しいものがあります。


前にも書きましたが、武器のほうが素手より何倍も強くなります。

どんなに強いボクシング選手も、ナイフ一本を躊躇なく振り回して、刺し殺す人を見て、何もできない、と言っているのを見ました。

そりゃそうです。ボクシングはボクシングなんですから、刃物なんてどうすりゃいいのかわからないはずです。

無茶はしない方がいいです。知らないなら知らない、わからない事はわからないというのはとても大事な事です。


という感じで、この辺で。

脱線しまくりな感じですが、戦い方に過程が存在するという事をいいたかったわけです。

ここまで読んでくれたらありがたいです。


xinyi.kokoro.omoi@gmail.com

一緒に練習しましょうー

雑談 その1

暑くなる季節です。薄着になるのは仕方ありません。私も薄着です。汗かきなので、やはりそうなります。


ロールプレイングゲームとしゃれこみましょう。

普段着ている服や靴は装備とみなします。薄着なのは季節柄仕方がないのですが、防御力は格段に落ちます。が、機動性は高い。

防御力は落としつつも、マニューバーとしての機能は向上します。

危険なところと判断していく場合は、上着はやはりほしいところです。一枚ずつ足していくにつれ、防御力向上の効果は高くなります。単純に足し算されます。

ジャケットなんかは効果は高く、また腕などのポケットがあれば、何かペンか、固いものを入れておくと、より効果的です。当武術においては肩を使用する上で、非常に効果的だといえます。最悪ペンも武器にもなります。


当武術、武器として箸も使います。箸は非常に身近な武器です。最終的には刺し込むのですが、戦術的要素、招法としては非常に高いものを保有している優れものです。長ければ長いほどいいです。

得物を持つと単純に、間合いが伸びますし、攻撃力も格段に上がります。刃物になれば、その攻撃力の上昇は非常に向上します。

しかし、扱えなければ使えません。


この法治国家での振る舞いとして、武器の携行は考察しなければなりません。

刀を差して歩くわけにはいかないわけですから、より携行性容易かつ、取り出しやすく、武器としてとらわれにくいものが重要になります。

スタンガンの携行など、一般の女性が持っていても、 変な話だと思います。テーザー銃などもありますが、そもそも、姿勢、照準、撃発といったハンドガンの訓練もしてない人間が、動く敵に対して照準できるでしょうか?前にも書きましたが、敵は自由意志です。当然動きます。

それに心理的作用も発動します。

震える手、突っ立った姿勢、照準がなかなか合わない、怖い、恐ろしい、息が上がる、動悸が激しくなる、汗が吹き出る、敵は迫る、視界が狭くなる…など。

はっきりいって不可能です。まぐれもあるかもしれませんが、それは可能性としての中に含みません。確実性を採用します。

ちょっと脱線しましたが、単に武器で能力を向上したとしても、動けないなら意味ないです。

護身に銃なんてのもどうかと思います。

トリガーを引けば弾はでますが、当たらなければどうということはない、と赤い彗星のシャア・アズナブルも申し上げておられるように。


そもそも、肘掛けでもつカバンが主流っぽいですが、手がふさがるのはあまり、よくないと思います。振り回すのはいいですが、耐久性が弱いとすぐにボロボロになる可能性もあります。

リュックがいいと考えます。

最悪、前に持ってリュックごと前進すれば活路はあります。問答無用で前に出るのです。いずれにせよ、止まるのはダメです。確実に殺されます。かといって、走ってもダメです。


こういった事を考える必要があります。知ってる知らないでは大きな違いです。

また、そういったものがあれば、心理的に安心します。少しだけですが、安心感があると、対応もなんとか可能になります。

この心理的なところは、武術として非常に大きな地位を占めています。これはおいおい書きます。


また、暑く重ねた布だと、刀を振って斬られたとしても、斬れません。刀は布に弱いです。だから、布のない首や手首、足首や隙間を斬って斬り殺しにいきます。

しかし、刃物は刺す能力は非常に高いです。身近にあるものなら、包丁でしょうか。包丁で、斬り殺されたと言う報道は見たことがありません。ほとんど『刺し殺され』てます。

訓練してないか弱い女性であれど、包丁もってうまく刺せば、見事に殺人ガールの出来上がりです。

それくらい武器というのは力があります。でも、有する人を選びますし、扱い方も重要です。敵よりも、知っていなくてはいけません。

死から活を見出すとか、彼を知り我を知る、です。

単に怖い、めんどくさい、しんどいでは終わらせられません。


日常は、平和であると同時に危険が潜み易いのです。物事には陰陽が存在します。二極端ではなく、陰陽です。単に、表裏!ではありません。陰陽であり、五行です。


日常に根差す武術として、今日も武術をやります。ちょっとだけ。

武術だけやってても、代謝は良くなりませんので、走ります。体力はつけた方がいいですので。

あ、武術とは全く関係ありません。

あと、武術は内臓や普段動かさない筋肉、箇所に健康効果が見込めます。


つらつら書いてしまいました。

この辺で。


xinyi.kokoro.com@gmail.com

よろしくお願いします。

大事な事 その1(仮)

当武術の戦術です。


中心をとります。中心とは概念ではありますが、要は身体の真ん中です。

ここをとります。肩で中心をとります。肩に限るわけではありませんが、肩で中心をとるという風に今回は表現します。

空手ならば一般的には左拳、左足先で中心をとっています。顔や足は必ずその線に合います。

足は結び足で動きます。

これでもって、相手に接近します。相手は必ずしも真っ直ぐはきません。中心をとる、というのがなければ、相手を捉えられません。目付も重要です。肩に目付します。もちろんこれもそれに限らずですが、三節に対し仕掛けます。


また間合いもかなり重要です。というか、これをやらないところは一体なんなのかというところですが、必ず間合いが発生します。自分の間合いを知ることは非常に重要です。

相手の間合いも知ることも重要です。

一足一等の間合いではありません。格闘技や柔道などの形式的な間合いはとりません。むしろ、そのような状況は生起しないように思われます。

何故なら、ライブであるからです。

止まることをしません。移動が是であります。

移動しながら攻防をします。力を抜いていないと不可能に近い行動です。あと協調しないと動けません。

空間処理が重要です。状況が常に推移します。止まってジリジリと、ドラマや格闘技であるような『探り合い』は是としません。

むしろ、その状況になったら我々はぶん殴られます。それをさせない、相手を動かさず、こちらが有利に動く、怪我をせず逃げる、もしくは殺す・制す、がエンドステイトであります。

歩は歩法です。そのまま歩くように接近します。縦の動きです。開き足だったり、すり足のような事はしません。

身体は閉じてまとまっています。戦術的に非常に重い要素ばかりであります。

故に、武術の力を抜いて力を出すという身体作りがそのまま戦術につながります。


突っ立って対峙する事はあり得ません。殺して下さいといっているようなものなので、ご理解ください。


非常に重要な事ですが、説明しづらいので実際に一緒に練習していただくと、より理解は深まるのかなと思います。


理と実は兼ねますゆえに、考えては動いて、さらに考察して動いて…トライアンドエラーの繰り返しです。これが人間の素晴らしさであります。が、これに飽きる人というのは、恐らく何をやってもダメな方だと思います。あしからず。

何故?どうやるのか?と自分で考えず、質問しまくる人も、恐らく難しいと思います。

しかしながら、自己完結、これも非常にまずい事であります。

自分で『こうだ!こうなんだからこう!』といってしまうと、それはその人の結果です。そこで終わりです。そこにたどり着いたのですから、本質とかけ離れていたとしても、それはその人がそう思ったのだからいいんですが、こちらはそれ以上いえませんのであしからず。

お疲れ様でした、という感じです。


以上で、武術における大事な事をさらっと書きました。全部が全部ではありませんが、とりあえずこの辺で。

文字面だけだと難しいし、自分でもまとまりなくなってきたので、この辺で。


xinyi.kokoro.omoi@gmail.com