心意
心意では、打ち合いなどの訓練はしません。中心を取り合うという動きを力を抜いてしますが、私はあんまやりません。
構えあってのヨーイドンでやり合う事はしないのです。
お互いを探り合って、叩き合う事はしません。
一番いいのは、こちらが有利で相手が不利である状態を、仕掛けの段階から最後まで維持することです。相手には何もさせません。
抵抗するだろ、とのお声がかかりそうですが、その間合いではやりません。
中間の間合いで殴り合う、蹴り合う、というのがそもそもないのです。
心意は槍からきています。これが理由です。
そして必ず移動を含みます。というか、含まざるを得ません。
止まって打つというのもありません。
その距離であるから、相手のどちらかに入ることができます。その入る方法が重要ですが、ここでは長くなるので述べません。
上下左右なくして入る事はかないませんし、そもそも、ずり込むといいますか、相手の背面もしくは、横に入る事を是とします故に、正面での叩き合いにはならないのです。
これが理由で格闘技とは別物であるというわけです。体力と体格勝負ではありません。
間合いが存在するので、そもそもの体格や体力差が関係なくなります。
柔道はクラスで分かれているのに、剣道にクラスはないのは何故でしょうか?
物をもっているか、ないかです。必ず間合いが発生しますが、物をもっている方はその物をなんとかしようとしますし、小手を打って入る、胴抜きなど、相手を抜きます。
素手であると、つかみ合い、もしくは叩き合いになっています。物を持つ統一性がないのと、その距離とつかみにかかることのみの術しかないので、つかみ合いになります。
当然ながら、その昔の柔道には当て身の術があったといいます。危険なので、後になくなったとの事ですが、その当て身こそが接近して掴むための過程で必要な術であります。
こう言った理由から、武術と格闘技やスポーツとはまた違ったものである、という事であります。
また、接近してからボコボコにするのはするのですが、小手先を使いません。最初から最後まで小手先を使っての動きをしません。すると心意ではないものになります。
接近・密着して重心を崩します。重心とは重心です。丹田とは違います。
ちなみに丹田は不老不死の薬をなんたら…とかいいますが、残念ながら作れません。
身体のコントロールセンター的な使い方をする、と心意ではいいましょうか、そこを意識するから気がどうとか、身体ががっちりする、とかではありません。意識して使うので、動きます。そこが動くので、コントロールセンターをなんと言おうか…あ、丹田って言おう、という感じでいいです。
難しいですね、忘れてください。
当然呼吸や腹を練るわけですが、そこはあまり意識する事なく、動きや身体を作るというのがまず第一です。
重心に戻りますが、要するに動けない状態です。ふつうに立ってる状態から押されたら、体勢が崩れます。わかりやすくいうと、これです。
ドンッ!と押すのではありません。
この状態を生起させ、相手の実の実をとるわけです。
当然ながら、ここまでやる過程が大事なのです。
そう簡単に接近接触密着できれば術など必要ありません。
女の子、もしくは男と近づきたいと例えるとわかりやすいでしょうか。
女・男と話して仲良くなりたい、その仲良くなるまではなかなか難しいものです。
もうだめだとなったら…悲しいかなお金を払って強制的に話すシチュエーションのところに行く人もいるわけです。そのあとは、特になにもなく、虚しい感じがしばらく残る感じです。
極端ですが、捉え方次第では似てるかなと思います。
述べてきたものは、エンドステートとしてなので、その様相は多種多様ではありますが、基本的には心意の武術はこれらをやります。
文章だけでは、なかなかわかりにくいかと思います。
興味があるのであれば一緒に練習したいと思います。よろしくお願いします。
xinyi.kokoro.omoi@gmail.com