武術同好会in千葉同好会のブログ

中国武術である戴氏心意拳を練習してます。同好会と冠するに、目的は今は人集めです。師は愛媛にいます。連絡先はxinyi.kokoro.omoi@gmail.comです。

久しぶりです

長い仕事がようやく完結いたしました。

久方ぶりに投稿します。


武術とは何か?

何度も言ってる感じもありますが、これはすなわち人に対する暴力です。武道や格闘技でも同じで暴力です。殴る蹴るもあれば、締めたりもあるでしょうし、更には突いたり押したり引き回したりとかあります。もっというと、斬ったり、貫いたり、目ん玉をくり抜いたり、口の中をほじくり回したりもあるわけです。

しかしながら、ただの暴力ではなくて、正統かつ正当な判断や正当な行いの術であるわけで、単なる暴力とは違います。コントロールして、目的や目標があるから、武術などがふるえるわけであります。

古代から現代までの間、大勢の人の血と肉の経験と知識と知恵が、伝わっているわけです。正統性があるなしは今は置いといて。


武術などはこうゆうものであり、その武術が存在するためには、社会に適用できる、役に立てるものでなければ排他されてしまいます。

武術は困窮しています。果たして使える武術はあるのか、と。

暴力機能をもった武術を今の現代社会の人々に伝える、わかってもらえるというのは、非常に難しいし、針に糸をさす以上に窮屈な事だといえます。

心意拳はセルフプロテクションであったり、危機回避、いざという時に動ける、そういった現代でもあふれる狂気に、弱者でも立ち向かえる、心、意、気をもって成す、これを標榜しています。

ただ武術をやる、これだけでやってるわけではありません。

武術は表現でもありますが、決してパフォーマンスではありません。

密着距離からの寸勁で相手を吹っ飛ばす…見た感じはすごいかもしれません。何かが出てるのかもしれません。

だから、なんなのでしょうか。

何度も言うように、そこまでのシナリオがないと使えません。

約束事では、お話にならないのです。


時折、古武術と健康などとあります。

いいと思います。武術で健康になったのでしょうから、そうゆう事をやりたいのでしょう。

でも、武術と健康がどう関係してるのかが、論理的で、どうゆう思考形態でそうなり、では武術としての機能と健康がどういう関係なのかを説明できれば、それはいいと思います。


丹田を意識して、温かい気持ちになったとか、身体の奥が良くなった、とか。

武術にも健康作用はたしかにありますが、あくまで副次的です。プライマリではありません。サブ中のサブです。

健康の中に武術を孕んで、実は…と言えるならいいんですが、健康主体なのであれば、武術ではないように思います。

それはリラクゼーションであって、武術としての根拠、アイデンティティがないと見受けられます。


めんどくさくてもうしわけないですが、しかしながらその根源であるスタートの部分をきっちりと理解、分析、明確化、標榜しないと、武術にならないようになるかと思われます。

某バラエティーの行列のできる〇〇相談所も、法律家がいる必要があるのでしょうか?バラエティーなのか、法律なのかブレブレな感じがします。例としてはそうゆう感じでしょうか、法律相談である必要が全くいらない気がします。

これを元にすると、健康を推すのであれば、武術は必要ありません。リラクゼーションに変えればストンと落ちると思います。


面倒ではあるのですが、ここをやらないと武術をやってても方向性が変わる事もあるので、正統性や体系にも大きく関わるような気がします。

これは非常にまずい事だといえます。


めんどくさくて、人がなかなかあつまりませんが、わかる人がわかればありがたいです。

文章力や、画像が乏しいのもありますが、私はめげずに頑張ります。

誰に必要とされて、誰か一人でも本当に役に立ったと言われる事は至上の喜びであります。


むむっ、ときた方はぜひ練習を共にしましょう。よろしくおねがい致します。

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