目
目を通して何を見るか、というところですが、目で単に見るという行為でも、見方は色々かわります。フォーカスを絞ったり、拡げたり。
見てるようで見てないとか、遠くを見ているような…とか、目の使い方もたくさんあるわけです。
単純な見るだけでも、色々あるわけです。
目はサーチする機能ももっています。目はけっこう動かせていません。
目に作用して首も一緒に動きます。察知するのに一緒に動き、更に肩に合います。
首が動かないと、情報収集が遅れます。
左右に、大きく回転させたり。
体操でやる首回し、あれに似てますが、あれは大半の人はきっちり回せていません。足首も同じですが。
大きく、ゆっくりが練習では最初は大事です。
自分の目の使い方もそうですが、相手の目も同じです。
自分の動きは見せています。当然ながら、見て認識しないと、コミュニケーションは成り立ちません。
消える動きとか色々ありますが、実際に消滅するわけではないと思いますが、消えるという事は見えているという事です。
見えているから、見えない状態ができるわけです。
ちょっとカッコよく言ってみよう、みたいなもんだと思います。消えるとか、影になる、とか。
各武術や武道での招法としての中に目の使い方などもあるはずです。
仕掛けが分からない、知らないでは、一体どのようにして技を相手に対してかけるのかというところです。
用法だけでは過程がないので、仕掛けになりません。技はホイホイとあっさりきまるものではありません。
その最初の段階の目の使い方は重要です。目付とはまた違います。
要するに、仕掛け前にやる準備はたくさんあるというわけです。
戦争するのに、なんの理由も計画も準備もなく、いきなり撃ちまくって、叩き殺したり、ぶち殺しにいくような事はおそらくないかと思います。組織的なら尚更のこと準備しないといけません。
目の使い方はその一部というわけです。危機管理というか、察知能力ともいえます。
何気なくボーッと歩いていればいいわけじゃないのです。むしろ、密集した地域においては、より索敵は重要になるかと思います。
人の多さは隠れ蓑にもなります故に、やろうと思えば、輩はなんでもやれるわけです。
コントローラーがいないただの群衆は、ただの群れですので、混乱状態が生起致します。
羊の群れに牧羊犬を放って追い込むのとにていますが、羊の群れはまだ統率された動きになっています。
話が脱線しましたが、要するに下を作るとか、やる前にやる事はけっこうあります、という事です。
さて、明日は上野で軽くやります。
昼頃、公園の西郷さんの像の半径200m以内のどっかで細々とやろうと思ってます。
内容は、前にも書いた通りです。
ブンブン腕振ったりします。
細かい事は、実際やりながらいいます。
という事で、ゆるーい感じですので、よろしくお願いします。
xinyi.kokoro.omoi@gmail.com