死生
毎度、いかがお過ごしでしょうか。本格的なジメジメ季節がやってまいりました。
気分的にも、身体的にも最悪の季節であります。
精一杯萎えてまいりましょう。元気いっぱいな人が暑苦しくてたまりません。
さて、死生観とはいかなものかと考えます。
我々が平和に生きていけているのはどうゆうことなのか。
武術は何故今遺り、また師をはじめ、我々は遺そうと頑張っているのか。
その時代の目的がありました。今より壮絶なる時代です。殺し殺され、常に死が隣合わせでありました。そのために生きるために術が生まれたのであります。
武術に限らず、様々な医療や、鍛造技術や、物を作る技術などが生まれ、今に残っているのであります。
武術に至っては、世界大戦や革命により、その危険性から軒並み殺されたり、取り上げられるなど、消滅の危機にあったにも関わらず、今こうやってのこっている武術があるのであります。
伝えて遺すとは、人が獲得した至高の知恵ともいいましょうか、財産ともいえます。素晴らしい技術や知識は、遺していきたいものです。
それは、時代がかわれど、時代に沿うような形で、その原型のまま、時代に合わせるという風に遺して行く事が大事に思います。
私は日常に根差す武術としてやっていきたいと、前にも書いております。
今、この時代に生きているのも、たくさんの先人の死があってのものです。死があって生があり、知恵などがのこっていくわけです。
非常に奥深いというか、大きなものを背負っているといえます。
そういった大きさを知る事も、重要だと思いますし、使命感のようなものも多少あるわけです。
歴史の中の小さな一つとなるように、少なからずそのまま遺せるように、練習しつつ、気づきを得つつ、まったりと生きていきたいと思います。