武術同好会in千葉同好会のブログ

中国武術である戴氏心意拳を練習してます。同好会と冠するに、目的は今は人集めです。師は愛媛にいます。連絡先はxinyi.kokoro.omoi@gmail.comです。

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ふと本屋などに入ってもよく見て、テレビなどでもよく見る、誇大広告。

私、このような記事を前にも書いたような気も致しますが、最近またふっと思ったので、何回なしに言いたいと思います。


最近でやはり多いのは、とにかく早くできるとか、3分でとかお手軽感満載の広告や表示が非常に多い気がします。

中学英語をたった10日で…とか色々あるんですが、根拠があるのだと思いますが、どうにも個人差というものをぶっ飛ばしているように思えるわけです。

それを買う買わないは、結局自分の判断によるのですが、やはりこれに釣られて買う人は多いようです。


やはり武術界でも、超とかスーパーな感じの表現が多いです。それは戦略的なものなので別にいいんですが、その超常現象がいかなものでどういったように戦略や戦術として使用できて、なんの意味があって、筋が通ってるのかとか、よく分からずにぶっ飛び表現がよくあるように思います。


わけわからないのもあります。ゆるふわ〇〇とか、〇〇軸とか、はたまたチャクラがどうだとか…最終的には愛とか言ってしまっています。

全くよくわかりませんでした。


しかし、やはりそれっぽく見えがちです。なんかすげぇー…ってな感じになるのでしょう。


表現に食いついてしまうと、細かいものが見えず、その本質などぶっ飛ばしてしまう。

イメージしたものと同じものを現実でみると、やはりすごいと思う。別にそれは毎度同じ動きで、催眠みたいなもので、例えそれがすごかろうと、それがなんなのか、どうしてそうなって、それがどう使えるのか?なんて疑わないと、食いついたままです。


まぁ、やる本人が良ければそれで別にいいのですが。

結局は、わかる人だけわかりゃいいという話であります。


例で言えば、必ず痩せる〇〇ダイエット!

など、実践して大人気などほざいてますが、成功してる人なんかいるんでしょうか??

いるんでしょうけど、それをあなたはその経過を実際に見たことがあるんですか?

ということです

意識

意識をする事は大事であります。武術においてもなんにおいても、意識をする事で、身体の中を集中してみたり、見る事に意識をすれば、普段見えないちょっとした痕跡なんかもわかったり、意識して歩けば危険な箇所を避けてみたり…など、見えない力のフォーカスとでもいいましょうか、重要な力といえます。

心意の場合でもやはり意識をしてやらないと、最初は身体は思ったように動いてくれません。

力を抜くのも意識して抜かないと抜けません。

簡単な動きでも、やってみると非常に難しいものです。


意識をして、身体を使ってみる事で、気づく事がたくさんあります。それをトライアンドエラーを繰り返して、使えるようにしていくわけです。


意識をして身体を動かすだけに非ず、普段でも歩き方や目のつけ方、使い方、5感も意識して使うと、そのくせもつくし、機能等も向上していきます。やり方次第ですが。

間合いも意識をするというか、気づかないと間合いなんてわかりません。わかってるようで、間合いなんてほとんどの人が分からないでしょう。


普段の練習や、普段の何気ない時間や、緊張状態にない状態での移動中、サーチなど、意識とか力を抜くというのは大事です。


が、事に臨めばそれは意識できるのかという事です。

よくありますが、毎度あげさせてもらっていますが、相手がこう来てああ来ての用法や、この状態では〇〇を意識して殴るまたは蹴る…とかあります。


そんな時間あるのでしょうか?意識が注力できるような精神的余裕はあるでしょうか?

敵は毎度言うように、都合よく間合いにきて止まりませんし、いつ触発して動くかもわかりません。常に事態は急変し変化する要素を孕んでいます。まさにライブ状況です。その推移を知る者は誰もいません。訓練ではないのです。


これは無意識で何が出るかによります。その時にバッと動けて、技がかかったのなら素晴らしい武術家です。

ごにょごにょ考えてる暇なんてないと考えられます。

状況を心で感じて、頭で判断して、腹で括って出たものが一番シンプルなものです。

時間稼ぎで話したり、うまくやり過ごすことも大事です。それは接敵する過程が存在していて始めて成立します。


事戦闘状態となると、ゆっくりなんてのは死を意味します。速くなります。が、神速とかそうゆう類のものではありませんが。


戦闘状態や状況では、心拍数が必ず上昇しますし、余計な事を考える余地もだんだんなくなってきます。手先は勝手に震えてきますし、音も聞こえなくなり、逆にその瞬間のことを忘れるようになります。

何したか分からなくなるんですね、この状態は。


昔のある剣術家も、気付けば斬り殺した死体がゴロゴロと転がっていたが、何をしたかさっぱり思い出せない、というような話もあります。


武術家などに限らず、軍人も警察なども同じです。

銃弾がゆっくり見えるとか、身に覚えがないのに、銃撃戦中に勝手にホルスターに拳銃を戻してしまった、とか。

小便やクソも漏らすとか色々まだまだありますが、とりあえず言いたいのは、悠長に緊迫状態で、意識して丹田が…とか手の位置がとか、足の開きは何度で、相手との距離は…とか意識や考えながら動くというのは非常に難しいということです。非常に邪魔です。

無意識的に動ける事が、武術の骨頂です。

それをするためには意識して練習することが大事な要素の一つであるという事を言いたいのであります。

そこまで行うには、練習もとい訓練的なトライアンドエラーの繰り返しで、向上と研究と気づきです。


この辺のことは重要ですので、語りました。


気になる方は練習を、しましょう!

久しぶりです

長い仕事がようやく完結いたしました。

久方ぶりに投稿します。


武術とは何か?

何度も言ってる感じもありますが、これはすなわち人に対する暴力です。武道や格闘技でも同じで暴力です。殴る蹴るもあれば、締めたりもあるでしょうし、更には突いたり押したり引き回したりとかあります。もっというと、斬ったり、貫いたり、目ん玉をくり抜いたり、口の中をほじくり回したりもあるわけです。

しかしながら、ただの暴力ではなくて、正統かつ正当な判断や正当な行いの術であるわけで、単なる暴力とは違います。コントロールして、目的や目標があるから、武術などがふるえるわけであります。

古代から現代までの間、大勢の人の血と肉の経験と知識と知恵が、伝わっているわけです。正統性があるなしは今は置いといて。


武術などはこうゆうものであり、その武術が存在するためには、社会に適用できる、役に立てるものでなければ排他されてしまいます。

武術は困窮しています。果たして使える武術はあるのか、と。

暴力機能をもった武術を今の現代社会の人々に伝える、わかってもらえるというのは、非常に難しいし、針に糸をさす以上に窮屈な事だといえます。

心意拳はセルフプロテクションであったり、危機回避、いざという時に動ける、そういった現代でもあふれる狂気に、弱者でも立ち向かえる、心、意、気をもって成す、これを標榜しています。

ただ武術をやる、これだけでやってるわけではありません。

武術は表現でもありますが、決してパフォーマンスではありません。

密着距離からの寸勁で相手を吹っ飛ばす…見た感じはすごいかもしれません。何かが出てるのかもしれません。

だから、なんなのでしょうか。

何度も言うように、そこまでのシナリオがないと使えません。

約束事では、お話にならないのです。


時折、古武術と健康などとあります。

いいと思います。武術で健康になったのでしょうから、そうゆう事をやりたいのでしょう。

でも、武術と健康がどう関係してるのかが、論理的で、どうゆう思考形態でそうなり、では武術としての機能と健康がどういう関係なのかを説明できれば、それはいいと思います。


丹田を意識して、温かい気持ちになったとか、身体の奥が良くなった、とか。

武術にも健康作用はたしかにありますが、あくまで副次的です。プライマリではありません。サブ中のサブです。

健康の中に武術を孕んで、実は…と言えるならいいんですが、健康主体なのであれば、武術ではないように思います。

それはリラクゼーションであって、武術としての根拠、アイデンティティがないと見受けられます。


めんどくさくてもうしわけないですが、しかしながらその根源であるスタートの部分をきっちりと理解、分析、明確化、標榜しないと、武術にならないようになるかと思われます。

某バラエティーの行列のできる〇〇相談所も、法律家がいる必要があるのでしょうか?バラエティーなのか、法律なのかブレブレな感じがします。例としてはそうゆう感じでしょうか、法律相談である必要が全くいらない気がします。

これを元にすると、健康を推すのであれば、武術は必要ありません。リラクゼーションに変えればストンと落ちると思います。


面倒ではあるのですが、ここをやらないと武術をやってても方向性が変わる事もあるので、正統性や体系にも大きく関わるような気がします。

これは非常にまずい事だといえます。


めんどくさくて、人がなかなかあつまりませんが、わかる人がわかればありがたいです。

文章力や、画像が乏しいのもありますが、私はめげずに頑張ります。

誰に必要とされて、誰か一人でも本当に役に立ったと言われる事は至上の喜びであります。


むむっ、ときた方はぜひ練習を共にしましょう。よろしくおねがい致します。