武術同好会in千葉同好会のブログ

中国武術である戴氏心意拳を練習してます。同好会と冠するに、目的は今は人集めです。師は愛媛にいます。連絡先はxinyi.kokoro.omoi@gmail.comです。

武術をやるのは

武術をやるといえど、この法治国家において、人を叩きのめすとか、刺し殺すとかなんてことは法によって裁かれます。重々承知の事とは思いますが、理解せず、人を殺す人も多いわけです。

カッとなって刺しただとか、親に注意されたからとか、その逆も然りであります。

殺人に正当な理由なんてものはないのかもしれませんが、それにしても理由なき理由で人を殺すニュースが多いです。法などをすっ飛ばして感情を優先し、事に移ってしまう方が多いようです。

命の値段というか、命を粗末にするな、とかいう割にはそんな事は綺麗事のように聞こえてしまいます。


かといって、被害者達はそれにYESと答え続けるのでしょうか?

武術はたしかに暴力ではありますが、そんなものはやる人によります。

武道を子どもにやらせる親などどうでしょうか?

人をぶっ叩いて蹴り上げ、叩き伏せたりする。何故やらせるのですか?

礼儀を教わるから!

などというわけですから、どうゆう道理なのかはわかりません。人を殴れば礼儀が身につくのでしょうか?礼儀などは親が教え込むように思えますが…まぁ知ったこっちゃありませんが、ともかく、やる人によるわけです。

そうゆう事を教わるから人を叩く人もやっていても少ないのでしょう。


明日死ぬような事にならないように武術をやる、これでもいいと思います。何かを守る、やられずにやって逃げるなど、生き抜く事につながるのです。ならば、別に趣味やマニアの類でもいいのかもしれません。

この世の中で、死なずに生きてるのが不思議なくらいです。気づかぬうちにサバイバルをしているわけです。今日は安全に帰れた…毎日実はサバイバーなわけであります。

大袈裟でしょうか??

また、今の世の中、年々事件が凶暴化しているように思えます。

何か思う事を具体化して実施する、アイデンティティともいうのでしょうか?

この目的意識は非常に大事だと思います。ただの武術にならないところが、武術をただの暴力として捉えない思考形態にもつながるのだと思います。

相手の足を止めるだけでも武術です。それでも充分難しいです。が、武術にはなっているわけです。必ずしも相手を斃すのが武術ではありません。

しかしながら、コミュニケーションでもあります。つまり対人でないと成立しません。

非接触/接触のコミュニケーションです。

物理的に叩く蹴るが武術や武道だと考えてると、ぶつ切りの考え方になります。それではもったいない。見えないところも用いるわけです。気で吹っ飛ばすわけではありませんが。


法治国家であり、暴力は危ないと言われる今の時代にはなかなかそぐわないかもしれませんが、ただただやられるのも見過ごせないわけです。覚悟も必要です。一個の悪によって、抵抗しないがために全員殺されるケースだって最悪あるわけです。そういった事にならないように、生き抜く為の術の一つとして、社会的存在価値が少しでも認められるように、ちまちま活動していきたいわけです。

健康にもいいですよ〜、とかも言っときます一応。


眠いので、文章変かもしれませんが、よかったなぁ〜とか思いが生まれたらこれ幸いであります。

あとよければ一緒に武術やりませんか??

xinyi.kokoro.omoi@gmail.com

よろしくお願いします。

元ボクサー談

えー、本日まだまだ閑散としてますので、挙げたいと思います。


今は一人一緒に練習されてる方がいます。その方は元ボクサーであり、ボクシングトレーナーであられた方であります。スポーツに関して多彩で、私からしますとその能力をわけてくれといった感じであります。


ともあれ、一緒に練習をしますが、まだ初期の身体を作る段階でありますが、やはり力を抜いて力を出すというのが難しいようです。

私の場合、全くスポーツなどしない状態から始めたので、むしろ力を抜くのは割と得意でした。

脱力とは違います。脱力とは脱力です。読んで字のごとく脱力ですので、動けません。

他では脱力と表していっているとこはありますが、確かに脱力しないも力抜く感覚を養えるかもしれませんが、動くとなるとこれでは腑抜けて動けません。かといって力を入れると踏ん張って力が死ぬわけです。

空手やボクシングのようにイチ、二、サン…で腰などの横回転から拳骨を、ヒットポイントに突き出すわけではありません。絞るような力の使い方をしません。


動きながら力を抜いて力を出すわけです。

やらないとわからないんですが、とりあえずこれです。

でも、やると力が抜けずに踏ん張るわけです。また、身体を閉じたり開いたりする動きをして、かつ手と足が一緒に動きます。バラつくと移動になりませんし、武術の(当武術の)戦術が成立しません。

武術の流派によって戦術は当然存在し、流派によって違うと思いますが、ここでは当武術の事をいいます。


元ボクサーの方染み付いた身体のクセに苦難しつつ、感覚や動きを掴んで練習しておられます。

武術とは違いますが、ボクシングや空手なども武術の身体の使い方の要素が存在します。

歴史や起源、どのような戦術なのか、武器はなんなのか、コンセプトは…などによって様々なわけでけです。もとを辿りまくればけっこう似通うものになるかと思います。

が、金がないのでなかなか調べるのに苦労します。だれか、お金をください。


というわけで、ボクシングについて何が武術的かというと、ファイティングポーズといわれる『構え』というものです。

背中を開き、手が顔を覆うように下から突き出ています。そして、ワンツーパンチという左右連続の『コンビネーション』といわれるものです。ジャブ、ストレート。戦術的で、連続で仕掛ける事ができます。接触し、相手の中に入ろうとする『術』です。

ただ、グローブを着ける制約上、掴む、捻る、持つ、かけるとかそうゆう使い方はできませんし、無論脚は、パンチをする上体を運ぶ、もしくは捻って力のベクトルを運用するものなので、蹴り足という考え方はありません。

そこに、ボクシングという所以があるわけです。

グローブつけなかったらできる、といいますが、だいたい顔を狙うので、顔は骨で覆われていて固いので、殴る人の拳も割れます。

上手い下手をいうわけではなく、今はこういう風に言ってるだけです。


ちなみに、構えは当武術ではしません。

最初から構えというような拵えることはしません。


元ボクサーの方からは、難しいけど面白い、楽しい、勉強になる、一家に一台、全米が泣いた…などなど嬉しい事を言ってもらってます。泣けます。

言わせてるわけではありません。マジです。


また、当武術では末端ではなく、節を用います。代表的なのは『肩』です。

末端を使っているようで、肩や肘を使ったりしています。

見た感じ末端じゃねぇかこの野郎と思う人もいるかもしれませんが、やってから言ってくださいという感じです。

しかしながら、使ってる使ってないは見たら判断できる人はできます。



というわけで、今回はこんな感じです。


最後に決め台詞を吐いて締めたいと思います。

毎回言おうと思います。

『私と一緒に練習しませんか?』

当武術&当同好会について

まだブログが閑散としてますので、また挙げたいと思います。


我々がしている武術というのは、気で吹っ飛ばすとか、俗に言う発勁で吹っ飛ばすとか、護身術で相手がこうきたらこうとか、スタンガンを持てばいいとか、そもそも戦わない事が無敵とか…そうゆうのではありません。また正面きってバチバチに殴り、蹴り合う、寝技に持ち込んで…とかでもありません。


まずい状況なら逃げますし、武器だって代用できるものならその辺のものも使います。戦わないのは確かにそう終わればいいのですが、そうもいかないこのご時世です。

護身術が果たして使えるのでしょうか?こう来てくださいと頼める敵は存在するのでしょうか?疑問が残ります。

スタンガンを使うのはいいですが、そのスタンガンを用いるために接触する方法は?手を伸ばすだけで使えるのでしょうか?

術と標榜している故に、人を致すにはやり方があります。武術とはそうゆう事であります。


気で吹っ飛ばすとはどうゆう事なのでしょうか?触れずに飛ばすとはなんなのでしょうか。

気とは?具体的かつ科学的に証明しきれないものが、ある!と断言するならあるのでしょうが、とりあえず接触なくして敵の横や後ろをとる、もしくは逃げる事は困難です。


ちなみに気は概念として用います。発力するものとしては使いません。我々はスーパーサイヤ人みたいにかめはめ波は撃てません。撃てる方もいるかもしれませんが、そんな人は知りません。是非いたら教えて下さい。一緒に写真撮りましょう。

で、なければあらゆる武器や防具、戦略戦術戦法、武術流派、武道などは生まれてないはずです。それらを使うから今に至るわけで、今なんかは尚更人をぶち殺すための兵器やそれに対応する戦略や戦術が発展しているわけです。


当武術では、接触までのプロセスを大事にし、さらに接触後も重点します。

攻撃しなくても、逃げる事も重要です。

相手に対して背を向けて逃げるのは、殺してくださいといっているものです。敵の向こう側へ逃げます。


また当武術の特徴はシンプルです。シンプルでないと使えないし、シンプルにまとめられています。しかしながら、そのシンプルを理解して体現する過程は複雑かつ苦難です。

力を抜いて力を出す、これが非常に難しいわけです。武術の永遠のテーマです。

リラックスするとは、当会のモットーでありますが、これが動きながらやれないとケンカになってしまいます。

格闘技ではありません。ブログカテゴリでは格闘技の所に入ってますが、決して格闘技ではありませんし、武道でもありませんので、ご了承ください。あくまで武術です。ここのご理解がありませんと、武術になりません。

あとスポーツでもありません。

それはそれ、これはこれです。なんでもかんでも混ぜて考えるとおかしな事になり、お花畑に突入しかけるのでお気をつけ下さい。


武術界は現在消滅しかけています。我々は当武術を以ってして、社会に役立つ武術をやっていきたいと思っています。

健康などにもアプローチし、人が集まればこちらとしてはウハウハです。

あと、歳も何歳でもいいです。年齢が3桁台いってなければ大丈夫です。


先程、なかなか習得は難しいと書きました。習得する!という風に考えず、習得というのは得てしまうとそこで終わりなわけです。そんな事は考えなくていいので、要するに嫌じゃなかったらまったりやっていきましょうというわけです。生きていく中での、ライフスタイルを破壊するほど食い込ませるわけでもありません。

ちょっと暇だからやろうというくらいでいいです。


来るもの拒まず、去る者追わず


という感じですので、やるならやればいいし、嫌なら嫌でしなくていいですし、来なくていいです。自由です。


とりとめない感じですが、とりあえずこんな感じです。

よろしくおねがいします。