武術をやるのは
武術をやるといえど、この法治国家において、人を叩きのめすとか、刺し殺すとかなんてことは法によって裁かれます。重々承知の事とは思いますが、理解せず、人を殺す人も多いわけです。
カッとなって刺しただとか、親に注意されたからとか、その逆も然りであります。
殺人に正当な理由なんてものはないのかもしれませんが、それにしても理由なき理由で人を殺すニュースが多いです。法などをすっ飛ばして感情を優先し、事に移ってしまう方が多いようです。
命の値段というか、命を粗末にするな、とかいう割にはそんな事は綺麗事のように聞こえてしまいます。
かといって、被害者達はそれにYESと答え続けるのでしょうか?
武術はたしかに暴力ではありますが、そんなものはやる人によります。
武道を子どもにやらせる親などどうでしょうか?
人をぶっ叩いて蹴り上げ、叩き伏せたりする。何故やらせるのですか?
礼儀を教わるから!
などというわけですから、どうゆう道理なのかはわかりません。人を殴れば礼儀が身につくのでしょうか?礼儀などは親が教え込むように思えますが…まぁ知ったこっちゃありませんが、ともかく、やる人によるわけです。
そうゆう事を教わるから人を叩く人もやっていても少ないのでしょう。
明日死ぬような事にならないように武術をやる、これでもいいと思います。何かを守る、やられずにやって逃げるなど、生き抜く事につながるのです。ならば、別に趣味やマニアの類でもいいのかもしれません。
この世の中で、死なずに生きてるのが不思議なくらいです。気づかぬうちにサバイバルをしているわけです。今日は安全に帰れた…毎日実はサバイバーなわけであります。
大袈裟でしょうか??
また、今の世の中、年々事件が凶暴化しているように思えます。
何か思う事を具体化して実施する、アイデンティティともいうのでしょうか?
この目的意識は非常に大事だと思います。ただの武術にならないところが、武術をただの暴力として捉えない思考形態にもつながるのだと思います。
相手の足を止めるだけでも武術です。それでも充分難しいです。が、武術にはなっているわけです。必ずしも相手を斃すのが武術ではありません。
しかしながら、コミュニケーションでもあります。つまり対人でないと成立しません。
非接触/接触のコミュニケーションです。
物理的に叩く蹴るが武術や武道だと考えてると、ぶつ切りの考え方になります。それではもったいない。見えないところも用いるわけです。気で吹っ飛ばすわけではありませんが。
法治国家であり、暴力は危ないと言われる今の時代にはなかなかそぐわないかもしれませんが、ただただやられるのも見過ごせないわけです。覚悟も必要です。一個の悪によって、抵抗しないがために全員殺されるケースだって最悪あるわけです。そういった事にならないように、生き抜く為の術の一つとして、社会的存在価値が少しでも認められるように、ちまちま活動していきたいわけです。
健康にもいいですよ〜、とかも言っときます一応。
眠いので、文章変かもしれませんが、よかったなぁ〜とか思いが生まれたらこれ幸いであります。
あとよければ一緒に武術やりませんか??
xinyi.kokoro.omoi@gmail.com
よろしくお願いします。