アンパンマン、涙の鉄拳
お疲れ様です。短い夏が終わりそうです。
秋と夏の切り替わりの日なんだそうです。しかし、まだまだ私の夏は終わらない!
最近見た記事であったのが、アンパンマンのアンパンチは暴力だ、なんて事を書いていました。
それを言っているのはどっかの親御さんがそういっているらしく、子どもの発育に悪影響なんだそうです。
正義と悪という概念を、正義の使者が悪をなぐりとばす、というシンプルでわかりやすい構造は、親御さんにはただの暴力だと映るようです。
たしかに暴力そのものです。バイキンのマンはアンパンチで毎回宇宙くらいまでぶっ飛ばされています。とんでもない力です。ただのあんぱんではありません。
こしあんでしょうか?つぶあんでしょうか?私はあんこがあまり好きではありません。
それは置いといて…
では、悪い事をしてるとどうなるの?という事をアンパンチなしで語るとどうなるのでしょう?
話し合いで解決なのでしょうか?ネゴシエーターのネゴシエーションさながらの、アンパンマンがメガホンで、『バイキンマン!故郷のおっかさんが泣いてんじゃねぇのか!』なんて事をやるのでしょうか?
何が言いたいかというと、そんなのアニメで見ても面白くありませんし、尺というものもあります。子ども向けでもあります、そんな人情や話し合いなんて子どもからしたら何やってんの?となります。つまり複雑です。シンプルだからこそわかりやすい。だからこそのアンパンチであって、悪い事したらダメなんだ、悪いやつは懲らしめないと!という正義感を養うのにもいい教材となると思います。
ただ、アニメはただのストーリーです。補足説明などはありません。本当の教育として教えるべきは、その子の親です。親が善導するのが人間の性です。
それをアニメのせいにして、自分のせいではないかのような物言いは、甚だ滑稽というか、笑止千万という感じです。
じゃあ、仮面ライダーや戦隊ヒーロー、プリキュアやセーラームーンとかそうゆうのも全て悪となるのです。
何を伝えようとしてるのか、何を受け取って、何を教えなきゃいけないのか?
ただの漫然と、暴力だと考えるのは、その表面しか見ていません。従って、表面的で浅い。
行使すべき暴力もあるのです。ダメな暴力もあります。
それはどこで違いがあり、コントロールするのか?
まさに心と思いになるわけです。腹で決めてその行動が始めて表現される。悪かろうと良かろうと。
その根源の善悪はまさに親などに教わるのです。
アニメではありません。しかし、アニメや作品に罪は1ミリもありません。
活かすも殺すも人間次第。
鉄人28号をコントロールする金田少年さながらであります。
武術に大いに関係するところがあると思いつらつらと書きました。
わかる方はわかると思います。わからない方はべつに構いません。
なんでもかんでも悪じゃないって事です。
では、このぐらいで…。っちゃす!