武術と戦争
仕掛ける、という招法がなぜ必要か?
ただの受け身な用法には、戦術的要素がないのか。
戦争を考えてみましょう。
戦争をするには、まず武器を持って、歩兵がどーん!とぶつかって終わり、ではありません。
戦略的に大きく地域や、国の情勢などの情報を取り、大きくものをみます。そこからどこに、どれだけの部隊を投入して、どんな部隊を運用するか、武器や弾や、メシや、装備、バックアップの部隊はどこか、通信は、どうやって進軍させるか?
戦略です。
大きな部隊や小部隊が、敵の敷地内に侵入し、接敵して、占領する。
それには、どうやって部隊を動かして敵を叩くか?
隠れていきなり奇襲するのか?迂回するのか?陽動するのか?罠にかけるのか?
など、これらは戦術的行動です。
個人らの、戦闘戦技、銃を狙って撃つとか、ナイフで刺すには、精度や、身体の使い方で相手を殺すとか、心理的効果を狙う。
これは戦法の段階です。
ざっくりですが、要するに大きく見て、小さくなっていくが、小さい事は大きなことにつながるわけです。
これらは、武術となんら関係ない、という方もたくさんいらっしゃると思います。
が、一緒です。部隊で動いてないだけで、個人での段階の話です。なんら変わりません。
敵と判断した相手に対して、考えなしに殴り蹴る、そんな事がまかり通るでしょうか?
戦場ですら、法を遵守するのです。知らない方は調べてください。
ムカつくから殴った、相手は死んだ、おわった。
口は悪いですが、アホとしかいいようがありません。
何も考えなしに殴って、当たりどころが悪くて死んでしまい、法を破るわけです。
自業自得だし、思考が単純かつ短絡過ぎて全く笑えません。お花畑よりキツイ状態にあるといえます。
また、人を殺す戦は、必ず遠くからの間合いを様々な遠距離武器から詰めて、斬り殺す、もしくは、刺し殺しにいくわけです。
つまり、いきなり
はい、じゃあこう来て下さい、こうしてきてら、こうします。たら、れば…
なんて事は、起きにくいというか、難しい状況であるといえるのです。
日常は戦争じゃない!
なんて方いると思いますが、日常にボクシングなんてあり得ませんし、空手も柔道もありません。畳がそこにあるでしょうか?審判は?裸足になって、マウスピースを口にはめるのでしょうか?
だからこそ、日常に根差すのです。
接近するための方法は、当然どの武術も武道もお持ちのはずです。
知ってるか、知ってないか、教えないのか、なんなのかわかりませんが、ないというならそれは知らないと言うことです。
ちなみに、武術は武器の延長で素手でやっておりますゆえに、素手から出発する事はいささか難しいものがあります。
前にも書きましたが、武器のほうが素手より何倍も強くなります。
どんなに強いボクシング選手も、ナイフ一本を躊躇なく振り回して、刺し殺す人を見て、何もできない、と言っているのを見ました。
そりゃそうです。ボクシングはボクシングなんですから、刃物なんてどうすりゃいいのかわからないはずです。
無茶はしない方がいいです。知らないなら知らない、わからない事はわからないというのはとても大事な事です。
という感じで、この辺で。
脱線しまくりな感じですが、戦い方に過程が存在するという事をいいたかったわけです。
ここまで読んでくれたらありがたいです。
xinyi.kokoro.omoi@gmail.com
一緒に練習しましょうー